杉山魁声(体育専門学群2年 / 専修大松戸高校出身)
第7区(21.3km)1時間5分38秒 区間20位
筑波大学体育専門学群2年の杉山魁声(すぎやま かいせい)です。
皆様にご支援いただき、チームは箱根駅伝予選を突破し26年振りに箱根駅伝出場を決めました。そして、僕は7区走者として、夢の箱根駅伝を経験することができました。多大なるご支援に心より感謝しておりますし、箱根駅伝本戦に向けてもたくさんの応援を本当にありがとうございました。
夢が叶った箱根駅伝。自分としては意気揚々と挑んだ憧れの舞台でした。不安よりもわくわくするような気持ちが上回っていたと思います。それは、箱根駅伝に向けた大事な練習を外す(凡走する)ようなこともなく、計画通りにトレーニングを消化して大会に臨むことができたからです。
しかし、ふたを開けてみたら、成績は区間20位。箱根駅伝を走った率直な感想としては、とにかく「自分の実力不足を痛感させられた」というものです。同時に、「駅伝の経験不足が顕著に現れてしまった」故の結果であると感じました。
シード権を獲得するような大学の選手のほとんどが、前半オーバーペース気味に突っ込み、後半はペースダウンを最小限に抑えるべく、ひたすら粘るというような“駅伝に特化した走り方”を徹底していたように見えました。
それに対して、僕の走りを分析すると、最初から安全圏のペースで走り続け、大幅にペースアップすることもペースダウンすることもなく、淡々と走り終えたレースでした。「単なるペース走」と言われても仕方のない走りをしたことが、今回の凡走を招いてしまった要因ではないかと思います。
僕は、箱根駅伝で、こんな走りをするために頑張ってきたというのか!? 箱根駅伝が終わって自分自身を責めました。
僕は、文武両道を貫いて箱根駅伝に挑戦することを夢見て、筑波大学に入学しました。もともとスピードには自信があり、積極性は僕がレースに臨む上での信条でした。そんな僕が安全策のレースをしたことは、後悔の念しかありません。
大学1年目から競技パフォーマンスが向上していることは実感できましたが、持続力(持久力)は劣っていることが、箱根駅伝予選会において2年連続で示されました。後半のペースダウンが大きく、2年連続でチーム内でも10位に入れなかったことが持久力不足の証明だと思います。
筑波大学の長距離チームは、弘山監督と山田コーチの理論を基に1年を通して、フォーム改革に着手しています。その二人からは、僕のフォームに持続力不足の原因があると言われてきました。少しずつ良くなってきたと思っていたので、箱根駅伝予選会の結果は、正直ショックでした。
「このままでは箱根駅伝の選手10人に入れない」という危機感から、僕は、箱根駅伝予選会後からコーチ陣の指導を受けながらフォーム改良に積極的に取り組みました。その成果は、1万m記録挑戦会の大幅な自己ベスト(40秒短縮)というかたちで早々に表れ、日頃の練習の出来具合(後半のペースアップ)からも持久力は明らかに向上していく感覚がありました。それ以来、練習の安定感も増したために、不安要素をほとんど残すことなく箱根駅伝のスタートラインに立つことが出来たと思っています。
チームの練習計画については、練習ミーティングを常に開いて決定されます。僕は、トレーニング班のリーダーを務めているので、その話し合いを活性化させる役目を担います。練習メニューの案が監督から出されると、練習計画全体と各練習メニューの意図を理解することから始まり、全体として流れが生まれるように、点の練習を結んで線にする「練習メニューの編集」作業を学生で議論しながら施します。
具体的には、各練習メニューの確認(必要に応じて変更)とタイム設定(量と負荷を調節)について話し合います。ヴァーチャルな計画とリアルな結果のギャップを小さくすることができると結果的に成功になります。
この成功を生むためには、チーム内のコミュニケーション(指導者と選手、選手同士)が必要不可欠です。普段から他の選手の状態(疲労具合など)を会話から探り、それぞれの練習報告からも読み取るようにしています。それをヒントにして、練習の強度の落としどころを探します。練習強度(負荷設定)の意図を指導者に説明して、チーム全員が納得したかたちで練習が進んでいくことを目指しています。
このあたりのことが、僕は上手くできたと思っていましたので、チームも僕自身も箱根駅伝では戦えると思っていました。チームの皆は、“それなり”に走ったと思います。皆が想定内の走り(最低限)だったはずです。
例えば、僕がマークした1時間5分38秒という記録は、2年前であれば、区間10位以内になりますが、今年の箱根駅伝では区間20位です。この区間順位でチームの流れを変えられるわけがなく、単純に力不足が露呈しました。レベルアップを痛感させられ、今の箱根駅伝には過去の常識は通用しないのだと感じました。
走り終わってから、本戦までのアプローチを振り返ってみると、どこかタイム(練習で崩れないこと)に固執し過ぎて、他校との勝負を考えられていなかった自分たちがいたのかもしれません。
点の練習を線にするのが、トレーニングの実践になります。点を線にすることが優先され、点を高いレベルで考えていなかったことに気付かされました。点が低いと言っても、以前の筑波大学よりは高い位置にあります。そこに安心し、「レベルアップしている箱根駅伝を戦う・他校と戦う」という意識が薄かったように感じます。これは来年の本選に向けたアプローチの反省材料として、私だけでなく、チーム全体にも還元していきたいです。
出場するだけで終わってしまった箱根駅伝ですが、収穫もありました。ハーフマラソンという長い距離の試合で良い結果を残せていなかった僕ですが、単独走でも、ある程度のタイムでまとめることができたことは、僕自身の成長が感じられ素直に嬉しいです。少し自信がついたと同時に、ハーフマラソンという距離に向けたトレーニングのアプローチが間違っていなかったことが証明されたような気がしています。
僕は、スポーツ科学とトレーニング理論、現場(チーム)、目標設定の融合をテーマに文武両道の活動をしているので、今回の経験は非常に価値あるものとなりました。科学や理論が独り歩きしても駄目だということがよくわかりましたし、目標設定の大切さも学びました。
チームと個人の目標に向かって、チームに属する選手の特徴(特性)を考慮して、科学との連携や理論の選択、工夫しなければいけないことが沢山あることがわかりました。答えは一つでないことは明らかで、現状に満足するような気持ちは捨て去らなければいけないと思い知らされました。
箱根駅伝が終わって、チームとしても個人でも多くのことを学びました。それらを糧にして、皆が成長できるように考えながら、僕ができる「チームへの働きかけ」を積極的にしていきたいと思います。
最後になりますが、箱根駅伝の沿道では、筑波大学の集団応援がとても凄く、2箇所とも走りながら涙が出てしまいそうなくらい嬉しかったです。最下位の単独走となったレース中は常に辛く、何度も心が折れかけましたが、その中にも楽しさを感じられ、箱根駅伝独特の雰囲気を味わうことができたのは、応援のおかげです。この様な経験は、皆様のご支援が無ければ体験することは絶対に叶いませんでした。本当にありがとうございました。
そして余談になりますが、箱根駅伝後に成人式や地元の鎌ケ谷市から、鎌ヶ谷新春マラソンのゲストランナーとしてお呼びいただいた関係で、中学高校時代の恩師や同級生、先輩方と交流する機会がありました。そこで「箱根駅伝見てたよ!」「感動をありがとう!」などの、とても嬉しいお言葉を沢山頂きました。
中でも「来年も筑波大学を箱根駅伝で見たい!」「箱根駅伝には筑波大学いないとな!」といったお言葉を多く頂きました。この時私は、筑波大学は箱根駅伝常連校になるべき大学だと感じました。
初めて走った箱根駅伝も競技生活の中では、もはや一つの点になりました。そこを起点に練習という点を繋いだ線の先に、次の箱根駅伝があります。その点をより高くし、線として繋いでいくことでしか、箱根駅伝への再挑戦のチャンスはやってこないと思います。
来年は川瀬さん、金丸さんといったエース格の先輩方が抜けてしまいますが、その穴を僕が埋めると共に、応援していただける選手になることを目指して、日々精進して参ります。同時に、駅伝副主将として、チームのメンバーが点在する状況にならないように、複数の点を幾重にも結びつけた強固なチームにまとめていけるようにしたいと思います。
本当に応援ありがとうございました。来年も必ずチームとして箱根路に戻ってきます。