第99回箱根駅伝予選会を戦い終えて
筑波大学 陸上競技部
男子駅伝監督 弘山勉
今年の箱根駅伝予選会は、湿度が高く厳しい気象条件になった。各校とも、一人当たり40秒~1分20秒ほどのタイムロスがあっただろう。
蒸し暑い気象条件となった今大会、戦術が物を言う戦いではなく、力勝負になったと感じている。通常のパフォーマンスが、ギリギリ発揮できる外的ストレス環境下でのレースという表現でも良いかもしれない。本当の力がないと戦術も何もないレースになった気がする。
実力や体調、気象条件に合わせた練習のペース走ではない。予選突破の計算をした上で、目標ペースが設定され、ゴールにたどり着かなければならない。そんな戦いが終わって感じるのは、「予選会は、やっぱりチームの層の厚さを競う大会だな」ということ。電車の時刻表が頭に浮かぶ。数人が乗り遅れたら終わり。10人が規定の時刻までに到着する必要がある。
襷を繋ぐ駅伝に必要な流れではなく、同時発走ロードレースの総力戦(タイムの総和)。今年の予選会は、チーム上位がタイムを稼ぐというより、如何に凡走を防ぎ、且つ、下位のタイムを落とさないか、にかかっていた気がする。そんなことは、とっくの昔にわかっていることだが、厳しい気象条件では、結局は「力=底力」が勝敗を大きく左右することになる。
今回の気象コンディションは、まさに、そのことが問われたと思うが、筑波大学は、今年もまた、下位層の力不足が露呈したような結果になった。練習では力を見せるのに・・・。15位という順位は、そもそも力不足の表れである可能性が高い。つまり、何を言っても言い訳にしかならない。
そうした指摘を覚悟の上で、レポートを書いていきたいと思います。
▼蒸し暑さの影響
レース自体の敗因を挙げるとするならば、結果的に、中位層の凡走にあったと考えている。それなりに力があるので、チーム内では中位層に位置付けられているわけだが、この学生らが、暑さの影響を多分に受けたと思っている。(※仮に凡走としても、その責任は監督にある)
何の根拠もないが、今回の予選会において、以下のようなタイムロスがあったと私は感じている。蒸し暑さによるパフォーマンスの低下が全体的に見られたことに、誰も異論を唱えないはずだが、どのくらい影響を受けたのかは、意見が分かれるところだろう。
「走力が低い選手ほどロスタイムが大きくなる」という考えで記録のロスを換算して、目標タイムに対する評価の材料にしたのが上表である。走力が低いということは、ランニングエコノミーなど持久力に係わる能力が劣ることを意味するので、悪条件になるほど、その影響を受けやすいという論理である。
暑熱馴化の度合いによっては、暑熱環境下でのパフォーマンス発揮度は、さらに差が生じる。個別の補正にせざるをえないが、基本的に、暑熱環境下でパフォーマンスが下がらない選手はいないはずだ、ということで、それ以上の補正は、必要以上の言い訳になるので、慎むべきかもしれない。
▼地球温暖化による難しい調整
箱根駅伝予選会が1週間後に迫る頃、天気予報を頻繁にチェックするようになってくる。どの大学も同じだろうが、刻々と変化する秋の天気に「暑いのか」「涼しいのか」「風は?」予想することは難しい。
気になるのは、当日の天気だけではない。予選会が近づくほどに、その影響が大きくなっていく。調整期間に入ると、蓄積されてきた疲労を軽減させながら調子を上げていかなければならないからである。気温や湿度が高くなると、同じ運動負荷でも、それ分だけカラダへの生理的なダメージが増すので、天候に神経質になるのは、当然だろう。
9月末から10月初旬にかけて、夏の暑さがぶり返したような天気が続いた。夏季鍛錬を終えて、仕上げの練習をしているタイミングで訪れた残暑。ロードでの最終調整において、過酷な練習が続いてしまった。使用するコースの問題で、昼前に組んだ練習だったので、天気の巡り合わせに、私は「夏合宿みたいになってしまったな」と学生に話したほどである。
練習内容と場所、時間帯、気象コンディションという巡り合わせ。神の仕業としか思えない運命が、どちらに転ぶのか?それは現代社会においては、「神のみぞ知る」ではない。情報化社会である今は、人為的に避けられる事象だからだ。予選会が終わって、私はこのことを猛省することになる。
10月2日に、箱根駅伝予選会のコース試走会に参加した。この日は、かなり暑く、予選会のコース上で、3年前の酷暑の予選会が思い出された。26年振りに予選突破した歓喜が頭の中で蘇った。丁度その時、ある大学の監督さんから「予選会当日、こんな暑かったら、筑波の優勝だよ」と声を掛けられた。
そんなことがあり、運が筑波大に向いていると思うことにしていた。涼しい環境でのみ練習していると、暑熱環境下でのレースは戦えないという考えだ。この調整期間の練習が、明暗を分けることになるとは、夢にも思わなかった。
暑い中で練習しているし、うちは他大学より暑さに強いという自負めいた気持ちがあったからだ。
▼戦う準備
直近の2年で、僅かなところで予選敗退を喫し、今年は、より準備の精度を高めてきたつもりだ。箱根駅伝予選会を目指す取り組みを、年々重ねながら、反省と課題解決を繰り返してきたからで、最終的には、10月の予選会(ハーフマラソン)で完結するように、セオリーに基づいた年間の強化策を組み立てている。
狙った大会に向けては、「鍛錬(強化練習)」→「実践(専門練習)」→「調整(テーパリング)」→「戦略(ピークパフォーマンス)」という順番を辿っていくことになる。普通に考えて、強化練習は専門練習に向けての準備であり、例えば、専門練習ができる体力を養成することが目的となる。
強化練習だけがレースでのパフォーマンスを最大限に高めることにはならないのは、全ての過程が、準備とトレーニングの本質という部分で繋がっていく必要があるからだ。鍛錬(強化練習)にだって、それ相応の準備が必要であるように。
実は、この準備に時間を割かなければならないのが筑波大学である。再三述べてきたように、筋力も低ければ、フォームも良くない、持久力も乏しい、など、無い無い尽くしである。少し言い過ぎだが、筑波大学に入学してくる高校生の多くは、大体がそんな感じだ。でも、野心・弥猛心に富む。つまり、伸びしろに溢れる卵=光る原石だと思っている。原石が自ら光ろうとするのが学生の創意工夫と努力であり、光らせるのが指導者の手腕ということになる。
ある時点では、原石の大きさも発光度合いも違う(走力や特性に差がある)が、それぞれに相応しい過程を踏んで、全員の成長を促す必要があるのがチームである。それを考え得る最高レベルで14人揃えるのが箱根駅伝予選会であり、16人揃えるのが箱根駅伝本戦だ。
選手層が薄いとされる筑波大学がこの人数を揃えるのは、かなり大変なことである。それが、前回のレポートで示した入学時の5000mの自己記録(下表)でもおわかりいただけるであろう。
1年生が即戦力にならないとした場合、2~4年で戦うのだから、なおさら厳しい。学生たちは、よく頑張っているし、記録は低いが学生自らが光ろうとする原石であることが良く分かる。
▼筑波大学が箱根駅伝に出場するための準備
今回の箱根駅伝予選会において、筑波大学の下馬評は決して高くなかった。おそらく、20位程度だっただろう。それもそのはず、春は全日本大学駅伝予選会にも出場できず、エントリーした記録で言うと21番目だった(←箱根駅伝シード校を除くと)。箱根駅伝予選会のエントリー資格記録=1万mでも20位。
「そんな戦力の筑波大学が予選を突破できるはずがない」という評価が妥当なところだ。だが、前述の2つの尺度は、あくまで1万mのタイムという評価でしかない。
筑波大学は、春から秋まで1万mの記録を狙う取り組みができにくいチームであるから、必然的に記録は低調になる。伸び盛りの筑波大生たちが、昨秋から走力を伸ばしていても、記録には反映されていないのだ。
これまで再三述べてきたが、筑波大学に入学してくる選手の5000mの記録は低い。良くて、5000mで15分を少し切る程度だ。それも数人。他大学は、14分40秒以内の記録を有する高校生がどんどん入部する状況としたら、まずは、他大のスタート地点までたどり着くのに、かなりの時間と労力を要することになる。
5000mの記録(ハーフマラソンの走力を占うベース)を向上させることを優先しなければならず、それが1月~7月中旬になる。7月後半から2カ月半をかけて、ハーフマラソンを走破できる体力を養成させるしかないのだ。その流れが下図である。トレーニングの期分けと繋がりを示したつもりだ。
筑波大学が、基礎トレーニングを重視しているのは、基本的な筋力アップに加えて、フォーム改善を図り、ランニングエコノミーを向上させることにある。トレーニング時の身体(筋・腱・骨)の負担を軽減させることで、練習の量と質を追うことが可能となるからだ。トレーニングを繋げていくことで、やっと予選会を戦う準備ができるチームなのである。
このような取り組みが見えない以上、もし、私が第三者で「筑波大学の箱根駅伝予選会予想」をしたとしたら、やっぱり20位と答えると思う(笑)。
▼予選会のパフォーマンス評価
主観を外して今回の結果を評価するなら、学生たちは、本当に良く頑張っていると言える。理由は前述の高校時代の競技力に依る。負け惜しみで言っているのではない。現在所属する46名の高校時代の5000m自己記録の平均が15分22秒というチームが、外国人留学生もいない中で、15位になることに下を向く必要はない。上手くいかなかった点があっただけで(上手くいかないのも実力だが)、10位になっても何ら不思議ではなかったと思うと、取り組みや努力には、胸を張って良いはずだ。
前述のタイムロス換算をした目標タイムを足すと、予選を突破していた。こんなことは、「たられば」にしかならないが、大事なことは、目標タイムが無謀な計算で導き出された数値ではない点にある。
つまりは「力はあったが、出せなかったこと」に着目すべきであると考えている。ここまで書けばおわかりいただけると思うが、敗因を何と考えるか?という分析が、今後の強化方針に影響するからである。大きく分けて、4つの着目点がある。
・そもそも力がなかった
⇒強化・鍛錬が上手くいかなかった
・レースで使う体力が養成されていなかった
⇒専門・実践練習が上手くいかなかった
・調子が悪かった
⇒疲労が残っていた
⇒調整練習が失敗した
・レース戦略に失敗があった
⇒オーバーペース
⇒集団走の方法
どの時点の何?=どの時点の方法や実施・実態に失敗や不運があったのか?その振り返りと分析が正確にできるか?が重要。次に活かすためには、何を悔やむべきかを明確にする必要があるからだ。「体力が足りなかった」「ペース対応力に問題があった」「調子が合わなかった」「レース戦略を失敗した」その失敗を明らかにすることで、翌年度への計画立案の精度が増すわけである。
ただ、箱根駅伝出場を目指して、学生個人やチームがどんなに成長を遂げているとしても、箱根駅伝に出場しなければ、満足度はゼロである。「筑波大学は学生を育てて良く頑張っているね」で終わってしまう話。
僅かな失敗が、全てを台無しにする・評価をゼロにしてしまう空気が漂うことになるのは残念でならない。でも、勝負の世界とはそんなものだし、その残酷さに負けない者しか勝者になれない。
では、具体的に、第99回箱根駅伝での筑波大学のパフォーマンス評価をしてみたい。
福谷は先頭集団に近い位置で最後まで走り切り、終盤にタイムを落とす公園内でしっかりペースを上げている。レースの全てをシミュレーション通りに進め、個人15位(日本人8位)になったことは、駅伝主将として立派な戦いをしたと思う。100点満点だ。
福谷の走りを100点として、次位からチーム内6番手までの5人は、概ね実力を出したと思いたいが、塚田を除いては、正直もう一つだった。100位以内に5人が入る予定だったので、目標(タイムも順位も)を少し下回ったことになるが、及第点だろう。
それ以上に、チームの7番手以降の4人が、タイムで66分をオーバーし、順位でも200位を下回った。6番手の國井から7番手の長井まで、1分32秒もの開きがあって、65分台が一人もいないということも、練習での走力差で考えても、力を出し切れていないと考えたくなる。本当の力がなかった、ということなのだろうが。
上図は、5km毎のスプリットタイムだが、下位6人はペースを落とし続けているのが分かる。蒸し暑さはあったにせよ、明らかに持久力が不足しており、ランニングエコノミーが悪いことを示すものだ。チーム内7番手以降が、個人順位の下限と考えられる220位(長井)までにゴールしなければならなかった。結果が全てであるとはいえ、その原因をしっかり究明しておきたい。
本来の力(期待値)を下回ったとするならば、取り組みの甘さに理由があり、強化練習→実践練習→調整練習→レース戦略の何れか、または、いくつかに原因があったことを表す。評価指標の例として、5000mの自己記録(ペース)と今回の予選会のパフォーマンスを比較してみたのが下表になる。
黄色の網掛け選手が、5000mに比べてハーフマラソンのパフォーマンスが落ちている(15秒以上のペース差)。その理由は何なのか?準備過程のどの部分に要因があったのか?
ほとんどの学生に、怪我による練習の休止期間があった(それも期間が長い)負の影響が大きい。小さな怪我を含めると、選手10人の中で、怪我による練習離脱がなかったのは福谷だけである。昨年に続いて、1万m持ちタイムトップの岩佐(28分41秒)が欠場となったことが、箱根駅伝は怪我との戦いでもあることを痛感する。もしくは、ランニングエコノミー(持久力)に問題がある場合だろう。
怪我やエコノミー低下を誘発する要因について、事象の深層まで入り込んで分析することが、来年に向けてのレベルアップに直結していくことになるのだろう。対策を立てて実行しているつもりだったが、今回の結果を受けて、その気持ちを改める必要があると感じた。
福谷を除いて、他の学生は、パフォーマンスが少し低くなったように感じる。レース後に確認すると、全員が一様に、入りの5kmが苦しく感じたと話している。
湿度が高い影響はあったと思うが、やはり、前述の調整練習での失敗が影響したと言って間違いないだろう。
直前の練習も出来過ぎなくらいにタイムが良かった。抑えさせても出てしまったのは、集中し過ぎたきらいがある。アドレナリンが出て、自分の身体コンディションに相応しい負荷を超えた調整練習になった可能性も否定できない。
詳しい説明は省くが、「実践ペースの余裕度の低さ=ランニングエコノミーを高める取り組みの甘さ」と「調整過程の失敗による疲労残り」が原因だったと思っている。それ以外に、思い当たることはない。今のところは。
▼難しい評価
学生たちは、本当に頑張ってきたし、おそらく、成長率では負けていない。チームの雰囲気も良く、学生たちの取り組みに不満はない。考え得る最大の成長を遂げていることは認めてあげたいが、それは自己満足にしかならない。それが現実で、予選突破という線引きで評価が下される予選会では、0点という点数が付けられてしまう。学生たちには、厳しい現実だ。
でも、それこそが課外活動(学生スポーツ)の意義である。社会に出ると、能力主義の世界に足を踏み入れることになる。「結果が全て」という場面に、何度も直面していくことになるだろう。「努力は報われない」と思い、「全てを否定してしまうのか?」、それとも、「努力は、やがて報われるはずで、今は成長過程にあることを自覚するのか?」という否定と肯定の間で、心が揺れ動くかもしれない。
周囲からの評価は、「起点」「基準」「視点」「尺度」「時間軸」「どの立場の誰が」「主観」などで変わるので、常に人は曖昧かもしれない評価の中で生きている、そう言って良いだろう。ということは、社会に出る準備をしている学生にだって、曖昧な評価が下される場面はある(それも含めて、勉強だろう)。学生にとって、大事なことは、どんな時でも、次の段階(ステップ)に進むエネルギーを増幅させる評価にしなければならない、ということだ。
誤解されないように言っておくが、結果が全てという気持ちで取り組んでいる。結果にこだわるからこそ、方法や過程を真剣に考え、活動の中身が充実する。結果にこだわって努力したのならば、結果はその時点の実力ということになる。「努力は、やがて報われる」その「やがて」を「来年」にするだけだ。努力したことは消えないし、3年生以下は、その努力を来年に繋げてほしい。だから、学生には、評価を不当に下げてほしくないと思っている。
もし悔いがあるとしたら、やっぱり私の詰めの甘さでしかないのだ。念には念を入れて、想定できるリスクを予見して、選択肢を用意しておかねばならないことを、思い知った第99回箱根駅伝予選会になった。
「来年こそは!」と絶対に発したくない言葉を、今年も言わざるを得ないことを、どうかお許しいただき、引き続き筑波大学を応援いただければ幸いです。
出場選手12名のコメント
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