元号が令和に変わって最初の箱根駅伝は、青山学院大学が大会記録を4分4秒も短縮する10時間45分23秒の新記録で優勝を飾りました。26年振りの箱根駅伝出場となった筑波大学は、11時間16分13秒の20位。青学大から30分50秒も離される最下位に終わりました。箱根駅伝を戦い終えて、弘山駅伝監督からのレポートです。
箱根駅伝は新時代に突入
26年振り出場の筑波大学が箱根駅伝で受けた洗礼と味わった果実
筑波大学 陸上競技部コーチ
男子駅伝監督 弘山 勉
第96回箱根駅伝で、筑波大学が最下位になることを考えもしなかった。それが私の偽りのない気持ち。おそらく学生もそうだろう。練習のタイムは予選会以上。チームの誰もが善戦できると思っていた。
今大会に向けて、それぞれの学生がA(上位)とB(下位)の2つの目標を立てていた。実は、私は、その目標を聞いていない。理由は、流れや状況で走り方が瞬時に変わるレースに目標タイムは、無意味だと思っているからだ。箱根駅伝はペース走をして戦うわけではない。
後から聞いたのだが、選手全員がA目標で走ると11時間08分で、全員がB目標の場合は11時間16分になるという。学生が立てた目標を基準に考えると、チームとしては最低の目標を今大会ではクリアしたことになる。しかし、結果は最下位。見通しが甘かったというより、学生が予想した以上に他大学が強かったということだ。ただ、あくまで机上の計算での話。
今大会は総合記録、往路記録、復路記録と全ての大会記録が塗り替えられ、区間新記録も多数誕生した。下記の要因が挙げられるであろう。
・気象条件は良かったこと
・1区からハイペースでレースが進んだこと
・トラック種目(1万m)の記録の伸び(学生界の走力向上)
加えて、厚底シューズ(マスコミのニュースによると使用率が85%)の恩恵で記録が伸びているとの見方は多い。それにしても、昨年からの箱根駅伝のレベルアップは顕著である。
優勝とシード権獲得、15位、最下位の記録を総距離が217.1kmになった2015年から比較してみると、以下のようになった。(気象条件の違いがあるので、あくまで参考)
年 | 優勝記録 | 10位の記録 | 15位の記録 | 最下位の記録 |
---|---|---|---|---|
2020 | 10:45:23 | 10:59:11 | 11:07:23 | 11:16:13 |
2019 | 10:52:09 | 11:09:23 | 11:14:42 | 11:31:14 |
2018 | 10:58:39 | 11:14:25 | 11:19:26 | 11:32:42 |
2017 | 11:04:10 | 11:17:00 | 11:24:45 | 11:49:18 |
2016 | 10:53:25 | 11:15:21 | 11:21:48 | 11:36:46 |
2015 | 10:49:27 | 11:11:15 | 11:18:24 | 11:31:40 |
表の通り、箱根駅伝の高速化が進んでいることがわかる。優勝タイムの短縮だけではなく、シード権獲得となる10位の記録が、10時間59分11秒。昨年、初めて11時間10分を切ったことに驚いたが、その記録が僅か1年で10分短縮することを誰が想像しただろう。一人1分も伸びている計算だ。
筑波大学の11時間16分は、2016~2018年でシード権争い付近で走ることができる記録。それが最下位になってしまうことに唖然とするしかない。仮にA目標の11時間08分(昨年の8位相当)を出したとしても、17位にしかなれなかった。大変な時代に突入したと言える。
筑波大学のレースと箱根駅伝までのアプローチを私なりに、振り返ってみたい。
<戦いぶり>
1区は、5kmが14分23秒、10kmを28分48秒で通過するハイペース。15km手前まで先頭集団に付いた西研人は大健闘だろう。ハイレベルの選手が揃った1区で11位は立派。幸先の良いスタートを切ったかに思えた。
各校のエースが揃う花の2区では、金丸逸樹は4人に抜かれたが、金丸を抜いていった相手が、東洋大の相澤選手、東京国際大の伊藤選手、日大のドゥング選手、拓大のレメティキ選手では仕方がない。金丸は自身が立てた目標(1時間9分30秒)を上回る1時間9分24秒(1km平均3分00秒2)で走破したのだから及第点の走りと言える。1時間9分半を切って、区間19位にしかなれない今年の2区のレベルは異常に高い。
金丸にとって、10kmを29分40秒で通過しても、抜かれた4人が遥か前方に行ってしまう状況は厳しかった。金丸は、2分55秒ペースなら押していける手応えはあるとレース前に話していただけに、もう少し前でレースを進め、後半に追いつかれる状況ならば、また違ったのだろう。レースが生き物という意味がここにある。拓大のレメティキ選手に付いていく選択もあったように感じるが、余裕度と残された距離との計算になるので、10km前に早々と追い抜かれた状況では彼を責めることはできない。
ただ、他大学の1区と2区は、1万mが28分台の選手ばかり。2区が終わって15位は十分に健闘したと言える。3区と4区で順位を上げて、5区の相馬でシード権内に突入するという青写真通りの展開に持ち込めると思っていた。
しかし、3区の猿橋拓己が区間16位で順位を2つ下げてしまっては、シード権は遠のく。後ろからやって来た順大と中大、国士舘に付いていかない度胸のなさは、今の筑波大学の課題に思えてならない。4区で最下位まで順位を落とす大土手嵩の凡走は考えもしなかった。重圧と緊張なのか、能力の半分も出すことができていない。
3区と4区でレースの流れが途切れてしまう最悪の展開からか、5区の相馬も本来の走りが見られず、一人を抜いて19位でゴールするにとどまった。
昨年(1時間14分)より2~3分は速く走れる手応えを口にしていた相馬が、最悪の体調だった昨年よりも1分も遅い記録。最下位で襷を受けるという状況が、気持ちの上でもマイナスに働いたとしか思えないが、それにしてもパフォーマンスの発揮度が低過ぎる。
気持ちを切り替えて翌日の復路へ
6区は、予定されていた小林竜也の病気で1週間前に急遽変更となった1年生の岩佐一楽。下見も不十分で上り坂に対応できず、中継所ではコースを間違えるなど、急な6区起用に余裕がなかったように感じた。
さらに、不運にも一斉スタートの6区走者のレベルが高かった。一斉スタートした中で岩佐の前を走る見た目19位の法政大の選手が60分そこそこで走破されては厳しい(岩佐はB目標に近いタイム)。急な選手変更により辛い思いをさせてしまったことに心が痛む。
復路のスタートで19位を走るチームから1分も遅れての最下位では、そもそもレースにならない。7区と8区の精彩を欠く走りは、ある意味、致し方ないが、それにしても、3区間連続の区間最下位とは、考えもしなかった。
というのは、7区の杉山魁声と8区の伊藤太貴は、箱根の予選会後から好調で、往路組を上回るタイムで走ることが何度もあった。自信を持って投入した杉山と伊藤のどちらもが凡走するとは、大舞台の重圧による緊張と最下位という焦りの中で、遅れを取り戻し、レースの流れを覆すような実力はないということだろうが、それにしても・・・。ショックは大きい。
ここまで凡走が続くと襷が繋がらない危機が迫ってくるが、8区から9区へはかろうじて襷は繋がった。そんな中、最下位で前も見えない単独走ながら、川瀬宙夢は一人気を吐いた。「前を追う気迫」が最初の1kmを2分42秒で突っ込んだ走りに表れていた。
オーバーペースで入りながら最後まで粘り通して区間14位。腕には、大学の校歌の扱いをうける『宣揚歌』の歌詞を腕に刻んでの渾身の走りは、見ていて涙が出る想いがした。どんな状況でも力を発揮する能力は「心だよ」と後輩たちに教えているかのようだった。
繰り上げスタートとなった10区の児玉朋大も、自身の目標を上回るタイムで23kmを走破した。区間順位は16位でも、最下位という位置を考えると良く走ったと思う。
往路が予想外に悪い結果だったが、復路は好調な選手を揃えたので、十分に反撃できると期待があったが、レースに参加することさえできなかった。駅伝は展開で変わることを身に染みて感じる。
同じ練習を同等のタイムで消化してきた10人のパフォーマンスが、ここまで差が開くことは想定していなかった。西や金丸が1区と2区で健闘したように、筑波大学の学生に“力”がないとは思わない。大舞台での重圧とオーバーペースで入る恐怖心に抗う強さはないということだろう。アプローチにも問題があったと言えるかもしれない。
<箱根駅伝までのアプローチ>
11月下旬~12月初旬にかけて、足の不安と貧血症状を訴える者が続出した。箱根駅伝の起伏コースを意識した練習の影響である。私はこの時点で「練習で冒険するのはやめよう」と練習でのチャレンジングは諦めた。選手層が厚くないからである。
箱根駅伝予選会にピークを持っていった学生たちは、予選会終了後は、心身ともにギリギリだった。予選会を戦った上で、「箱根駅伝で勝負するための練習をして、なお且つ、故障(怪我)しないこと」=この両立は今年のチーム状況では困難だったと言うしかない。
敗因はいくつもある。言い訳はしたくないが、私には説明責任があるので、主なものを一つだけ挙げておきたい。もちろん、私自身への自戒を込めて。
『令和に蘇る韋駄天』
これは、箱根駅伝予選会終了後に、学生たちが考えたチームを表現するワード。SNSで使用するキャッチコピーのようなものだ。31年振りに箱根駅伝の予選を突破した令和元年は、奇しくも大河ドラマ“いだてん”が放送された年。しかも、箱根駅伝創設100周年に第1回大会の優勝校が復活出場するという奇跡として、筑波大学は大いに注目されることになった。
マスコミから取材が殺到し、周りは歓喜一色のムード。「26年振りの箱根駅伝出場」を祝福される状況が続いた。「今の時代に箱根に出たことが凄い」という、いつまで経っても高い評価を与えられ続けたのは、箱根駅伝を戦う準備を進める中で、正直に言うと歓迎できない状態で厳しかった。
言い方を変えると、箱根本戦に向けてはノープレッシャー状態になる。次第に、チームの視点や観点は、正選手争いや走る区間に移っていく。つまり、常に調子を合わせることだけに専念する状況に陥る。
「練習で競走しない」「繋ぎの練習では疲労を助長する練習は避ける」これでは戦うチームができるはずがない。各選手が調子を維持するばかりの練習で“シード権”と言っているのは、口先ばかりとなってしまった感がある。それは、今思えば・・・という反省。
実際に各選手の調子は良かった。練習のタイムも素晴らしく、十分に戦えると思っていたが、箱根はそんなに甘くはない。強さが必要ということなのだ。レースの入りの速さが違うし、ハイペースの中で競り合う度胸や力、その準備も足りなかったことがわかった。それも今となっては後の祭り。
「もう少しこうしておけば」という気持ちはレースが終わって必ず出てくる。ただ、前述の通り、ギリギリの心身で選択したことなのだから後悔はない。後悔があるとしたら、様々な準備に追われ、現場指導に集中しきれなかったこと。今回の最下位は私に責任があるのは間違いないこと。
自戒の念しかないとはいえ、浅い経験と手薄なチームスタッフでは、当然の成り行きだったのかもしれない。「駅伝は総合力」と言われる由縁だ。
学生たちは、激戦の予選を突破し、箱根駅伝本戦に向けて、一生懸命に練習してきた。そして、桐の葉を胸に、伝統の黄色い襷を肩にかけ、精一杯戦ったと思う。
奇跡の集団(偶然集まったチーム)がもたらした必然の結果は、残念ながら最下位だったが、「第96回大会の最下位が今後の飛躍のための必然であった」と後に言える気がする。それが現実のものになるよう、私たちは弛まぬ努力を重ねていこうと思う。
箱根駅伝で受けた厳しい洗礼は、学生たちに挑戦する意欲を掻き立て、箱根駅伝という素晴らしい舞台で味わった格別の果実は、学生たちを虜にしたことだろう。「令和に蘇った筑波大学が箱根駅伝で飛躍を遂げるスタートとしては収穫しかなかった」と負け惜しみではない本心をお伝えしておきたい。
これからの筑波大学に期待してください。多大なるご支援と応援ありがとうございました。
あとがき
『令和に蘇る韋駄天』この言葉を繰り返し使わせていただくと、筑波大学は、箱根駅伝の舞台に蘇ったばかり。箱根駅伝に指導者として初めて挑む駅伝監督、その監督が率いるチームもまた26年もの間、箱根駅伝を戦ったことがないのだから、最下位に終わるのは、ある意味では当然なのかもしれない。悔しいことですが、そう思います。
他大学は、敗戦と工夫、努力を積み重ねて今があります。優勝した青学大も同じです。他大学が過去に受けたのと同じように、今回、筑波大学の学生と私は、箱根駅伝の洗礼を受けることになりました。
「そんな簡単にいくほど甘くないよ!」と箱根駅伝の神様の声が聞こえてくるようですし、「粘り強く創意工夫して強くなりなさい!」「そのために箱根駅伝を構想したのだから」と金栗四三先輩の叱咤激励を受けている気がします。しかし、高速レースと化した箱根駅伝の洗礼は強烈でした。
運営管理車から見えた景色をお伝えすると、幾重にも重なる観衆、途切れない声援は凄いものがありました。とくに、筑波大学への声援は多かったように思います。その典型が、他大学の応援タオルを持って「筑波大学頑張れ!」と声援を送ってくださった方がどれほどいたことでしょう。最下位だから?いや、箱根駅伝の沿道まで応援に来てくださる方は、全大学を平等に応援しているように見えました。
9区に至っては、「医者になれ!」とプラカードを掲げて川瀬の応援をしてくださる方までいらっしゃいました。「学生は大学の伝統と皆様の想いを襷に込めて精一杯走る!」「応援者は頑張る若者を精一杯励ます!」この関係が、箱根駅伝をここまで大きくし、感動的な駅伝競走になっているのだと実感しました。
歴史の重みと華やかさが両立する素晴らしい大会です。そんな大会で沿道の熱気に包まれて走ることができる学生たちは幸せだと思います。
そういう状況だからの笑い話を一つ。笑い話で済ませたら怒られるかもしれませんが、声援の大きさから、運営管理車のマイクを使った私の声(指示)が選手にほとんど届かなかった、ということを後で知らされました。「青学大の原監督が叫んでいるのは、そういうことか」と合点がいきました。これも箱根駅伝新人監督の至らなさ。全ては経験しないとわからないことばかり。恥ずかしい限りです。
我々が右往左往する中、サポーターとなって応援してくださった方々が沢山いらっしゃいました。陸上競技部OBOGはもちろんのこと、陸上競技部以外の卒業生、寄附をしていただいた支援者の方々です。筑波大学応援部『WINS』も大手町と芦ノ湖で計4回も熱いエールを送ってくれました。
箱根駅伝競走終了後の挨拶会では、往路ゴールの芦ノ湖も復路ゴールの大手町でも溢れんばかりの人だかりとなり、頑張った学生たちを労っていただきました。来年に向けてのエールもたくさん頂戴しました。「最下位で許してくれるのは、26年振りの今回だけだから」という厳しい言葉も期待してくれる裏返しだと感じます。
そして、結果報告会兼関係者交流会を開催しました。東京教育大1961年卒の鴨下礼二郎大先輩を筆頭に、関東学生陸上競技連盟の有吉正博会長、日本陸連長距離マラソンディレクターの河野匡先輩、1985年に箱根駅伝区間賞の渋谷俊浩先輩、矢野哲先輩などそうそうたるOBOGのメンバー、クラウドファンディングご支援者の皆様、学生の保護者、茗渓会の役員・会員である先輩方、永田学長をはじめとする本学教職員など、多くの方にご参加いただき、盛大な会になりました。
箱根駅伝を走った先輩全員からお言葉を頂戴し、学生たちは歴史の深さを思い知ったことでしょう。「その歴史を受け継ぐ一員であること」を学生たちは自覚してくれたに違いありません。箱根駅伝の歴史を繋いでいく再出発を皆で誓い合う貴重な機会となりました。
学生と共に戦った箱根駅伝(予選会を含む)は終わりました。冬休みが明けたら、次年度の戦いがスタートします。
高速化する学生長距離界で激化する大学同士の争いを勝ち抜いて箱根駅伝に出場することは、依然として茨の道になることが予想されます。今大会に出場したからと言って安泰ではありません。令和に蘇った韋駄天を再び眠らせる事態にならないよう、学生と共に精進していきたいと思います。
学生たちは、人生の宝物となるような貴重な経験をすることができたと思います。こうした機会を与えてくださった多くのご支援者と関係者の皆様に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。そして、今後ともご支援と応援をよろしくお願い致します。
来年も箱根の舞台で絶対に戦います!
<出場選手のコメント>
1区:西 研人(体育専門学群3年)
区間順位、記録ともにほぼ目標どおりの結果だったので、今の力は出しきれたと思います。応援が本当に力になりました。沢山のご声援本当にありがとうございました。
2区:金丸 逸樹(体育専門学群4年)
各校のエースが揃う2区を走らせて頂きました。他校の選手との力の差を強く感じましたが、最後に仲間と駅伝ができたことは一生の思い出になりました。
3区:猿橋 拓己(理工学群3年)
箱根駅伝という憧れの舞台を走ることができ、喜びを感じながら走ることができました。沿道でも「筑波大学頑張れ!」「猿橋がんばれ!」と多くの声援をいただき、苦しい場面でも粘ることができました。今回の経験を活かして、強くなります!
4区:大土手 嵩(体育専門学群3年)
駅伝主将として、チームを引っ張る走りをしたかったですが、力不足でした。ただ、応援がとても力になり、苦しい場面でも粘って走ることができました。応援ありがとうございました。
5区:相馬 崇史(体育専門学群3年)
2度目の箱根駅伝を走ることが出来、とても嬉しい気持ちでいっぱいです。4区の大土手から襷を受け取った時は胸にこみ上げるものがありました。個人の走りとしては目標に遠く及ばず悔しい結果となりました。必ず来年リベンジします。沢山の応援ありがとうございました。
6区:岩佐 一楽(体育専門学群1年)
周りの人と一緒に前半の上りを走ろうという気持ちで臨んだのですが、序盤で余裕がなくなり、下りでも巻き返すことが出来ませんでした。やはり勝負事を本当に楽しむには強さが必要だと改めて痛感しました。この気持ちを持ち続けてこれからの練習に取り組んで参ります。
7区:杉山 魁声(体育専門学群2年)
まずは箱根路を走れたことをとても嬉しく思います。結果は区間最下位でしたが、様々な要素を考慮すると、これが精一杯の走りだったと思います。今回の経験を大事にして、今後のレースを自覚と責任を持って走りたいと思います!応援ありがとうございました!
8区:伊藤 太貴(体育専門学群2年)
目標としていた区間順位、記録に届かず、悔しいと思うのが率直な気持ちですが、力は出し切ったので今の自分の力不足です。初めての箱根駅伝で、今までにないほどたくさんの声援が聞こえて力になりました。たくさんの応援本当にありがとうございました。
9区:川瀬 宙夢(医学群5年)
襷をもらった時には単独最下位でかなり難しいレースでした。しかし、筑波大の本当の力はこんなものではないこと、そして自分が経験してきた1〜4年生の頃の予選会での敗北をなんとしても晴らすことを胸に最後まで粘り強く走り切ることができました。
10区:児玉 朋大(体育専門学群3年)
小さい頃からの夢が叶いました。襷を川瀬さんから受け取れなかったことが心残りです。
沿道から「筑波がんばれ」「児玉ー!」と絶え間なく声をかけていただき力になりました。ありがとうございました。もっと強くなって、来年、箱根に帰ってきます!