筑波大学が重視するセオリーに基づくチーム強化
~ それを支えるのは学生とチームの弥猛心 ~
筑波大学 陸上競技部
男子駅伝監督 弘山勉
箱根駅伝予選会まで残り1ヶ月となった。「もう1ヶ月か」とボヤく自分に苦笑する9月中旬。月日が経つのは早いと感じるのは、箱根駅伝に向けた強化としては「時間はいくらでも欲しい」という心理があるからである。毎年のことだ。
現在、夏季強化の最終段階として、菅平高原@長野で合宿に入った。一度に長い距離を走るのも、この合宿が最後になるだろう。学生たちも、その覚悟だ。
筑波大学だけではないと思うが、夏季の走り込みは怪我との戦いになる。ハードなトレーニングの翌朝に、朝練習を終えた学生が脚の不安を訴えてこないことを祈る日々。1ヶ月前となった今、予選会までの時間、ハラハラした状態がずっと続く。
残念ながら、スポーツ障害は発症する。限界を渡り歩く競技スポーツでは、競技パフォーマンスの向上と怪我は、表裏一体の関係にあるからだ。理想通りに事が運ばないのは、どのチームも同じだろうと思う。技を競うのは、何も競技会だけを指すのではないと感じる。「怪我を避けて走力を高める」という技を競っているのが、箱根駅伝なのだろう。
今年の3月、冬季トレーニングを終えた頃、私はチームのミーティングで、「5000mで14分半を切る選手を最大限増やすこと」を重要テーマとし、7月までのチームノルマとして課した。
14分半以内という数字に、特段の根拠はないが、過去の「予選会への強化(準備)」と「予選会での戦いぶり」を蓄積してきた感覚で見えてきた“私なりのデッドライン”である。まあ、能力評価は、記録(タイム)だけでは計れないので、このあたりかなという感触で良いと思っている。
この14分半以内の選手が多い状況を作り上げ、切磋琢磨しながらハイレベルの選手争いをチーム内で展開していくことが、予選会を戦う準備では重要なポイントになってくる。とくに、筑波大学は、それが必要なチームである。毎年、選手争いが激化しないのは、選手層が厚くないことに依る現象。私が駅伝監督に着任して以来、ずっとそうだ。
本学に入学してくる学生は、5000mの記録が優れているわけではない。むしろ、他大学と比較して、かなり低いほうの部類に入るだろうと予想している。調べればわかることだが、正直、あまり興味がない。それは、過去のこと(記録)でしかないだからだ。
前回のレポートで、自己新記録達成率のことを書いたので、どのくらいの選手が、どのくらい伸びているかをデータでまとめてみた。下の表が、現役選手の5000m短縮タイムをランキングで示したものである。
大学に入って自己記録を更新した者は、47人中34人。更新できていないのは下表の13人だが、うち9人が1年生で占められている。つまり、記録未更新の上級生は4人のみ。3000mSCで日本インカレ3位になっている松村が含まれているのが不思議に思えるし、今夏で急成長を遂げている宮代が14分半を切ることは確実視されている。上級生の全員達成まで、あと少しのところまで来た。
高校時代の自己記録と比較して50秒以上の短縮は10人。30秒以上の短縮まで対象を拡げると20人となる。1分以上も短縮した学生が5人いるが、高校時代のベスト記録が全員16分台なので、短縮余地の大きさからは、当然という気はする(本人の努力は相当だが)。とくに、上位の2人は、16分台から14分台への一気の突入で、それも2年次の更新なので、僅か1年余りで1分半以上も短縮したことには、正直言って驚かされた。
短縮ランキング1位の長井にいたっては、高校時代の記録が16分半でありながら、すでにチームでも上位の走力を示す存在にまで成長している。おそらく、5000mの記録は現時点で、さらに20秒以上の短縮が可能だと思っている。そうなると2分以上の短縮ということになる。こんなことがあるのか!?という感じだ。
下表に示したが、大学に入って14分50秒を切った学生は18人いて、その短縮タイムの平均は44秒にもなる。注目したいのが、この18人の中で、高校時代の持ちタイム最高は、14分47秒でしかないということ。高校時代の自己記録の平均が15分12秒で、現時点で平均14分28秒まで向上している。他大と比較して、誇れる数字なのかはわかならないが・・・。
だが、今年のノルマに反して、14分30秒を切った学生は8人にとどまる。この人数を20人まで持っていきたかったが、そう簡単ではなかった。もちろん、実力がそのまま記録に反映されているわけではないし、直近1年間の18人の記録を平均して14分28秒という数字に、可能性が見い出せる気がしている。
それは、ここまで示した学生の伸び率からすると、夏季鍛錬でどれだけの成長を遂げているのか、現時点では判明しないからで、十分に上方修正が可能だと見立てている。今回の最終強化(合宿)を終えて「蓋を開けてみたら、多くの学生が強くなっていた」それが期待を込めた本音である。
魔法の蓋を開けるような気分に、少し楽観し過ぎな部分はあるかもしれないが、筑波大学の伸び率(伸びる力)からして、楽観ではないと言い切れる。その理由を少し述べてみたい。そのために下表を用意してみた。現部員の入学時の5000m自己記録と現在の自己記録を示し、比較したものである。
現4年生世代と1年生世代が、高校時に14分台をマークしていた学生が多い。2年生世代は0人で、16分台が4世代で9人もいる。15分台の学生を含めると47人中32人が14分を切っていない。平均タイムが15分20秒である。箱根駅伝を目指すとしたら、ごく平凡なチームにしか映らないのではないかと思う。
次に、入学後の記録を示すと、世代間で経過している時間は違うが、現時点では下表にようになっている。14分台が28人に増え、15分超えは19人に減り、16分台も2人しかいなくなった。この2人が記録を伸ばすのも時間の問題だろう。ただ、この伸び率が他大に比べてどうか?それはわからない。
私は、指導者として、確たるポリシーを持っているつもりだ(指導者なら当然)。私のそれは「セオリーに基づいたコーチングをすること」である。セオリーに基づいた選手育成ができれば、選手の競技パフォーマンスは飛躍的に向上していくことになるからだ。
セオリーとは、理論や定石と訳されることが多いが、目標を達成するための正しい筋道であると思っている(理論を含めた)。理論を体系化しつつ結び付けて、目標達成に必要な能力をどのように養成していくのか、その筋道を案内してあげること。つまり、最終的に狙った通りの形になる筋道を作ることが重要である。理論のぶつ切り処方は、セオリーにはならない。
ただ、そのセオリーを持ってしても、事は簡単には運べない。難解なのは、筑波大学でも47人もの長距離選手(部員)がいるところにある。1つのセオリーが47人に適性にマッチするはずがないからである。
どのレベルに合わせるのか、どのタイプに合わせるのか、悩ましい選択が常に目の前に迫り来る。それが競技スポーツの現場である。だとしたら、セオリーは、いくつも用意しないといけないことになる。目を背けたくなる理想論だが、その通りの現実が現場には待っている。
そう、鍵を握るのは筋道。学生が通る道に、筋を通してあげること。「全員が伸びる筋道を考えること」その難題に挑むのが指導者の仕事。これが現場にある偽りのない事実だ。
だが、細かな筋道を用意する時期とそうはできない時期がある。現在、実施している夏季鍛錬が、まさに後者。「走り込み」という強化手段に異なる筋道は必要ない(過酷な練習を共に乗り越えるという意味も込めて)。走り込み前の異なる筋道は、7月までに終了し、次の段階の筋道が、秋への飛躍を占う走り込みなのである。走り込みに、それぞれの筋道は要らない。
今は「箱根駅伝予選会を突破するための筋道」を皆が脱線しないように進んでいる最中。走り込みの方法を選手によって変えれば、筋道はいくつか用意できるかもしれない。現に、筑波大学では、夏季鍛錬を「予選会の選手を目指す学生」と「予選会を目指すのは時期尚早の学生」に分かれて、夏季鍛錬の筋道を進んでいる。
ただ、箱根駅伝への同じ筋道を歩む時間であることに変わりはない。筋道の行方が今年なのか、来年なのか、という違いに過ぎないだけだと思っている。だが、面白いことに、「来年」と思っている選手が、来年に予選会を目指す夏季鍛錬の筋道を通っているか、というと、そうならないような気がしている。
というのも、時期尚早と思われる学生が、箱根駅伝の選手を目指すグループで夏季鍛錬をすることを希望してきたとする。「まだ無理ではないか」と見ていると、その上位グループに属して夏季強化を経た後、その学生は、飛躍的に能力を伸ばす傾向にあるということ。
「お前には、まだ早かったな」と仲間に言われないために、必死に練習に食らい付いた結果であろう。このような学生の姿を見ると、筋道は「心技体のキャパシティを大きくするため」に用意されなければならないことを痛感する。技体だけはない心の部分に作用する筋道も必要ということだ。正しく心技体と実感する瞬間(実例)である。
さらに面白いのが、挑戦によってもたらされるキャパシティ拡大は簡単に消えないということ。どういうことかというと、身の丈に合わない筋道を通ってしまったかのように、上のレベルの練習に挑んだ夏季鍛錬後に怪我をしたとして、それが失敗には終わらない。怪我が治り、練習を再開して、戻る体力レベルが高いのである。高まった心技体のキャパシティは、決して消え去らない。身体にしっかり刻まれるということの証明と考えている。
前述の長井は、昨年、自らの意思で、その挑戦をした。予選会でも選手になるなど順調に成長を遂げていたが、11月に怪我をして、その後、怪我を繰り返し、練習から長期離脱を強いられた。半年後の5月から練習を再開して、すぐに昨年の走力レベルを取り戻し、今では、チームでも上のレベルで練習するほどに、一段と成長している。
心や身体のキャパシティを大きくしたことが、良いかたちで後に表れた例である(怪我がなければ好例)。上のグループで練習した経験をし、その空間でしか得ることができない何かを掴んだ“もの”が間違いなく存在する。それが己の力となって、しっかりと自分に残るのだ。
私自身のこれまでの経験や学生が成長する過程を見てきて、「夏季は手加減無しに鍛錬する」という筋道を用意すべきと思っているが、結局は、心のキャパが物を言うのである。その心は、向上心、野心、冒険心ではない“弥猛心”ということになるだろうが、やらされる鍛錬は鍛錬にはならない、ということ。それに尽きると断言してよいかもしれない。
箱根駅伝予選会を目指すグループに属して夏季鍛錬を実施する場合、体技のキャパが足りない者は、練習に必死に向かっていかないと置いてきぼりを喰らう。常に疲弊し回復は追いつかない状態でも、容赦なく次の練習がやってくる。気を抜く暇などない。常に自分のカラダと向き合って、対処していくしかない。走るだけではない、様々な能力のキャパを拡げることになるのだ。
このことをチームで例えてみる。筑波大学が箱根駅伝に出場するには予選会を突破するしかない。その突破ラインは年々厳しさを増すばかりだ。筑波大学は、私立大と対等に戦うための準備をするしかないのだが、そのレベルでトレーニングを続け、技体のレベルを押し上げるには、チームとしての向上心や野心、弥猛心が必要だ。言うまでもないが、チームは個の集まりである。個の心とチームの心、弥猛心を一つにしなければならない。チームビルディングが重要になってくる理由だ。
前回のレポートで、夏季鍛錬の始まりに足並みが揃わないチームである理由を述べたように、夏季鍛錬までに歩む筋道は学生によって異なる(いくつもの筋道を用意する必要があるチーム事情)し、年間を通した持久力養成の筋道は、基本的な技と体のレベルが低い筑波大学の学生には、セオリーとして適合しない。
ということで、筑波大学の学生には、短期集中型の夏季鍛錬という筋道を用意し、心のキャパを大きくして、その筋道を乗り越えるしか、箱根駅伝予選会を突破する術はないのだ。その筋道は、他大学よりも険しいものになるのは、当然である。険しい筋道なのだが、その険しさが実を結ぶ筋道を立ててるのが、指導者の役目となる。ただ単に険しいだけでは駄目だ。
私は、当初、筑波大学には真面目で大人しそうな高校生が入学してくる印象を受けていたし、事実、そういう年もあった。しかし、私が「本気で箱根駅伝を目指す」と宣言して、箱根駅伝が近い存在になるに従い、心のキャパが大きい高校生が加入するようになってきていると感じる。高校時代の競技力は低いかもしれないが、向上心や野心、弥猛心で充満した心を持っている学生アスリートが集まって来ている。。
筑波大学が、箱根駅伝の予選を突破するには、セオリーに基づいた筋道を高いレベルで歩んでいくしかない。そのためには、セオリーを理解し、用意される筋道を「自分たちにとっての栄光へと続く道」にする志(心のキャパ)の拡大が絶対に必要だ。心技体の成長サイクルを回す牽引役は、常に心が担う。心技体を順調に伸ばす筋道の使い方を知ったときに、チームのセオリーは完成に近づく。
それぞれの学生がそれぞれに適合するセオリーに則り筋道を歩んできた春、そして迎えた夏季鍛錬という筋道が間もなく終わろうとしている。初夏に揃わなかった足並みは、今では、すっかり歩調を揃え、夏季鍛錬の最終章を進んでいる。筑波大学が箱根駅伝に出場するためのセオリーとして用意された過酷な筋道。それを乗り越えた学生たちなら、箱根駅伝予選会を堂々と戦うことができる。残りの1ヶ月、最終仕上げの筋道に入る前の最後の踏ん張りどころである。
5000mのタイム短縮ランキングトップの長井隆星の手記がサポーター募集の新着情報にアップされているので、併せてお読みください。
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