筑波大学 医学群 医学類5年の川瀬宙夢(かわせ ひろむ)です。筑波大学26年ぶりに出場した箱根駅伝において、9区を走らせていただきました。
箱根駅伝当日は他大学の応援に引けを取らない大変大きな声援を送っていただき、本当にありがとうございました。声援が力となり、箱根路を最後まで粘り強く走りきることができました。今回は箱根駅伝を走っての感想を綴らせていただきたいと思います。
自分がタスキを受け取った時には、筑波大学は単独の最下位で、繰り上げスタートの危機が間近に迫っていました。「何としても伝統のタスキを繋ぎたい」という思いから、オーバーペースも覚悟の上で前を追いました。
序盤は、リズムよく走れていましたが、7キロ過ぎの権太坂の登りで苦しくなってしまい、後半はペースを上げることができませんでした。横浜あたりからは、辛く苦しい走りとなりましたが、沿道からの途切れることのない応援に勇気づけられ、最後まで力強く走りきることができました。声援は想像を超えるもので、「苦しくても走り続けたい」「終わってほしくない」と思わせるほどでした。
僕は、復路のエースとして起用してもらいました。しかし、結果として、自分の力不足でタスキを繋ぐことはできませんでした。繋ぐことができないと分かった瞬間、心の底から悔しさがこみ上げてくると同時に、チームメイトや応援してくださる方々には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
伝統の黄色いタスキをつけて走らせてもらい「卒業生や仲間の想いを背負うことはできた」という面では駅伝をさせてもらえましたが、前が見えない単独走で始まり、他の大学を視界にとらえることができないまま終わったので、他大学との競走(戦い)をした気持ちになることはできませんでした。今の実力は出し切ったと思うので、自分の走りに悔いはありませんが、期待に応えらなかった悔しさは大きく残りました。
さて、少し振り返りを交えて、念願の箱根駅伝出場が実現したことについて話していきます。
2019年度の僕は、特殊な立場でした。医学群で学んでいるために、5年生ですが(医学は6年まで)、現役の学生アスリートになります。昨年度は駅伝主将でしたが卒業していないので、5年生となった現在も、普通の部員として活動しています。
“駅伝主将経験者であり通常の4年生より上の先輩”という立場は稀有なので、立ち振る舞いに気を配りながら、後輩たちにアドバイスを送ってきました。と言っても、病院での実習が忙しく、一緒に練習する機会は非常に少ないのが現状です。平日は、皆より早く朝練習をして、夕方の本練習は皆が終わった後に、ポイント練習を実施する場合がほとんどです。
病院実習が終わってすぐに競技場に駆けつけて、一人で練習するのは、本当に辛いことです。心身の疲労との戦いで、高いモチベーションと集中力がないと挫折してしまいそうになります。苦しい練習を乗り越えるというよりも、心の限界を超えるという表現のほうが近い気がします。
僕が練習する前に、後輩たちが実施したトレーニングのタイムを確認し、仮想のライバルを心に植え付けて、練習に向き合いました。苦しくてペースが落ちそうになったら、後輩たちの頑張っている姿を頭に思い浮かべて、「ここでヘコタレタたら、後輩に負けるんだぞ」と言い聞かせながら、自分を追い込むようにしてきました。
それでも自分に負けそうと予想できる(=疲労が大きい)時は、同じく元駅伝主将で、現在、生物の博士課程で研究に勤しむ吉成祐人(よしなり ゆうと)先輩に日中に連絡して、練習に付き合ってもらうようにしました。スタッフも僕が終わるまで、残ってくれるので、何とかやれました。正直に言うと、日々ギリギリの状態でした。
そんな状況ですが、週末は休みなので、週末は後輩たちと練習することができます。そこで、力が落ちていないかをチェックして、体力の低下を感じたら、翌週の練習を頑張るモチベーションにする、ということをずっと繰り返してきました。週末に睡眠を確保することも大切になります。
このような生活を続けるうちに、自然と時間のマネージメント力が身に付いたと思います。1分1秒も無駄にしないように考えてきたので、全ての行動に意味を持たせることができるようになった気がします。その結果、様々なシチュエーションで「○○を○○のようにすると、自分は○○になる」というような予測が立てられるようになりました。
生活も練習も全てが身体の機能や心、ストレスに繋がっていて、「こういう時はこうすれば良くなる」という計算式(逆の場合も)が出来上がっていったのです。だからでしょうか、調子が悪くてレースを外す(凡走する)ことが僕は極端に少ないと思います。まだ、僕は現役の大学生として、陸上競技部で活動していきますので、この術や経験則を少しでも後輩たちに伝授できたら良いなと考えています。
僕がそう思うように、駅伝(チーム競技)は、代々、先輩が後輩に何かを伝えながら、チームを育てて強くしていくことで戦えるようになると思っています。筑波大学が今年の箱根駅伝に出場できたのは、卒業していった先輩方の努力と出場できなかった悔しさや涙あり、それに加えて、先輩たちが試行錯誤したトレーニング理論や方法が継承されたからです。
僕が駅伝主将だった2018年の箱根駅伝予選会は17位に終わりました。その悔しさと申し訳ない気持ちをずっと忘れずに、この1年間は競技に向き合い、後輩たちを裏側から見守って(必要に応じてアドバイスして)きました。だから今度は、今年の箱根駅伝で筑波大学がタスキを最終中継所で繋げなかったことを無駄に終わらせないように、悔しさを決して忘れないで思い続けてほしいと思います。来年、後輩たちがそのリベンジをするために、必ずや戻ってきてくれると信じています。
僕の箱根駅伝を目指した活動は、これで終止符を打つことになります。“つながらなかったのも”として、9区⇒10区の襷があります。僕たちチームが最も成し遂げたかったのが「大手町のゴールまで伝統の黄色い襷を持って帰ってくること」です。残念でなりませんが、一方で、箱根駅伝出場を成し遂げるために、“つながっていったもの”として、「先輩から後輩へ伝わる心や想い」「ご支援と応援者の輪」など沢山のことがありました。本当に良い経験をさせていただけたと思っています。
個人としてはとても悔しいレースだったことには変わりありませんが、大歓声の中を走らせていただけたことはもちろん、小さいころから夢見てきた舞台で走れたことはとても素晴らしい一生の思い出となる経験になりました。
とくに箱根駅伝の出場が決まった10月26日からの2か月間は夢を見ているかのごとく楽しく、一瞬で過ぎ去ってしまいました。規定の4回(予選会も含めて)出場した自分は、もう箱根の舞台に立つことはできませんが、後輩たちに一人でも多くこの経験をしてもらえるよう、今後後輩たちの成長を手助けしていけたらと思います。
また自分はこの経験を大事にして、まずは医学6年生のラストイヤーに全てを賭けて3000mSCで活躍し、そして、将来の夢であるスポーツドクターへ向かって精進していきたいと思います。
箱根駅伝では大応援に物凄いパワーをいただきました。本当にありがとうございました。今後も筑波大学に変わらぬ応援をよろしくお願いいたします。