伊藤太貴(体育専門学群2年 / 岡崎北高校出身)
第8区(21.4km)1時間8分22秒 区間20位
今年の第96回東京箱根間往復大学駅伝競走において、筑波大学の代表として8区を走らせていただきました伊藤太貴(いとう たいき)です。素晴らしい経験をさせていただき、実際に感じたことや思ったことを書かせていただきます。
箱根駅伝は、自分の想像をはるかに超えるスケールで、今までに味わったことのない独特の雰囲気でした。「いつもテレビで見ていたコースを、自分が走ることができるなんて」その喜びと興奮を感じながら中継所のスタートラインに立ちました。
スタートしてからゴールするまで、自分の足音すらもかき消されてしまうほどの沿道からの大きな声援が途切れることなく続き、運営管理車から監督の激励の言葉を受けながら走りました。レース中にこんなに多くの声援を受けたことは初めてで、より一層気が引き締まりました。
しかし、自分が目指してきた走りができず苦しいレースとなりましたが、沿道の途中数か所からは筑波の大応援に加えて、僕の小学校から高校までの恩師や友人が声援を送ってくれたので、最後まで頑張ることができました。たくさんの応援の中で走った21.4kmは最高でした。
箱根駅伝に臨むにあたり、自分たちの今の実力がどれ程のものか?レースで力試しをすることはできませんでしたが、練習の出来から手ごたえを感じていました。しかし、終わってみれば、目標のシード権獲得まで約17分。こんな大差をつけられることを予想すらしていなく、悔しさを通り越して、根本から考えさせられることになりました。
この結果に終わってしまった原因は、僕たちの力がまだ足りていないということを承知の上で、他の要因を挙げると、(箱根)駅伝の経験不足にあると考えます。
箱根駅伝の予選会では、集団走できっちりと設定されたタイムを守りながら走るので目標が立てやすいです。それに対し、箱根駅伝本戦では、1区を除くと多くの区間で単独走となります。そのため順位やタイム差、レースの流れによって攻めた設定で突っ込んで走るべきか、あるいは、ペースを守って落ち着いて走るべきか、臨機応変にレースプランを変更して走らなければなりません。
コースの特徴も車で下見した知識しかなく、経験者も少ない中で立てたプランは想定通りにいかなくなった途端に立て直せなくなってしまったのかもしれません。さらに、レースに向けてのレベル(ペース)想定の甘さも要因の一つであると考えます。
個人としては、下位でタスキを受け取ったにもかかわらず、後半の上り坂に備え、前半ペースを抑えすぎてしまったことが最も反省すべき点です。「前半から積極的に行くことができれば結果も変わっていたかもしれない」と自分に期待を込めたレース回顧をしたところで、この成績では、楽観的な過去の塗り直しにしかなりません。
チームとしても個人としても反省点は多くありますが、箱根駅伝を経験したからこそ、気付くことができたことは多いです。この過程を通らずして、箱根駅伝は戦えないと思うので、来年はこの経験を必ず活かし、今後の競技生活に繋げていきたいです。
今では、このような箱根駅伝の反省を述べている僕ですが、実は、春シーズンの頃は、自分が箱根駅伝に出場することなど想像すらできない状態でした。
1年生の時は、フォームの悪い癖から怪我を繰り返してばかりでした。もがき苦しんだ時期を何とか乗り越え、12月の最後のレースでやっと自己ベストをマークすることができたのですが、1年目は、なかなか思うようにいかなかったという気持ちが強いです。
2年生になっても、その傾向は続き、常に脚に不安を抱えている状態でした。故障を繰り返す僕は、8月後半からの選抜合宿のメンバーにも選ばれず、9月は合宿に行けないメンバーと大学で居残り練習をしていました。
その時、一緒に練習したのが、病院実習や授業で合宿に行けなかった医学群の川瀬先輩と山口先輩、僕と同じく春シーズンを故障で棒に振った同郷の山下先輩(高校時代から仲良くさせていただいた他高校の先輩)でした。モチベーションが上がらずにいる僕と違って、先輩たちは違いました。「選抜合宿組に負けないぞ」と合宿に行けないハンディを精神面でカバーしながら練習する日々を送っていました。
忙しい授業や実習で思うように競技活動できないのに、高いモチベーションを保っている先輩の姿を見て自分自身が情けなく感じ「自分は何をしているのだろう」と自虐的な気持ちになりました。「覚悟を決めて必死にやらなきゃいけない」と箱根駅伝予選会の選手を目指すことを胸の中で誓いました。
それからの僕は全てのことに集中して取り組み、順調に力をつけていきました。その成果が、9月末の記録会で表れ、とくに調整もしていない中で、1万mを30分半で走ることができました。今まで1万mをしっかり走れたことがなかった僕には、驚きのタイム短縮でした。
箱根駅伝予選会の選手にも順当に選ばれ、予選会ではチーム9番目でゴールしました。最後の5kmをかなりペースダウンしてしまったのは反省ですが、本戦に向けて、その分の伸びしろが十分にあると思って、箱根駅伝に向けて練習していきました。
充実した気持ちで過ごす毎日はとても楽しかったです。先輩たちに刺激を受けずに、過去の自分のまま変われずにいたら、箱根駅伝も応援やサポート役だったはずなので、経験したことは天と地ほどの差があった気がします。
箱根駅伝本戦の結果は、総合と区間順位ともに20位という残念なものでしたが、僕自身が大きく変わることができた2年次の1年間は、今後に向けて飛躍のスタートになると感じています。このような変化を僕に与えてくれた医学生の川瀬・山口先輩、同郷の山下先輩には感謝の気持ちしかありません。
箱根駅伝本戦では、区間配置が川瀬先輩に襷を渡す巡り合わせ(僕が8区、川瀬先輩が9区)になりました。川瀬先輩に襷を届けるにあたり、本戦を走れなかった山下・山口先輩の想いを乗せて、勢い増して襷を渡すつもりでしたが、いざ走り出すと守りに入ってしまいました。それどころか、襷が繋がらない危機があることを沿道の方から知らされました。
「世話になった川瀬先輩の最初で最後の箱根駅伝なのに、繰り上げスタートで走り出させるわけにはいかない」と僕は必死に走りました。何とか襷が無事に繋がりホッとしましたが、チームと先輩をハラハラさせて本当にすみません!という思いです。
このように、故障から飛躍を遂げた(←僕の中では)2年次でしたが、箱根駅伝では、夢の舞台に立てた喜びと不甲斐ない走りをした情けなさが交錯しています。そんな酸いも甘いも知ることができた1年間を経験できた意味は大きいと思っています。3年になってからは上級生として(川瀬先輩や山口先輩、山下先輩のように)、後輩に良い影響を与えられるような先輩でありたいと強く思います。
来年、パワーアップして戻ってきます!!!!
皆様への感謝の気持ちを忘れずに次の目標に向けて、精進して参ります。今後とも変わらぬご支援のほどよろしくお願いいたします。