岩佐一楽(体育専門学群1年 / 東邦大東邦高校出身)
第6区(20.8km)1時間1分10秒 区間20位
筑波大学体育専門学群1年の岩佐一楽(いわさ かずもと)です。今年の箱根駅伝に大学の代表として6区走者で出場し、素晴らしい経験をすることができました。箱根駅伝予選突破と箱根駅伝本戦に向けての長きに渡るご支援、さらに、箱根駅伝当日はたくさんの応援をいただき、ありがとうございました。
箱根駅伝のことを振り返る前に、その前のことから話したいと思います。
この僕が、入学して1年目から箱根駅伝を走ることになるとは、夢にも思っていませんでした。それには、「筑波大学が箱根駅伝に出場したこと」と「僕個人が選手10人に入ったこと」という二つの意味があります。入学した頃からは、どちらも信じられないこと。激動の1年間は貴重な経験となりました。
僕は、中学までハンドボール、高校から陸上競技を始めました。部活動を通して、スポーツが好きになり、文武両道を提唱する筑波大学が「箱根駅伝復活プロジェクト」という明確なビジョンを示していることに共感して、筑波大学を選びました。無事に合格したものの、入学して5ヶ月は、かなり“もたついていた”と思います。
環境が変わって、忙しい授業と部活動の両立は、予想以上に大変でした。それは、僕は千葉県の自宅から通っていたからという影響が大きかったと感じます。片道1時間半以上を要する通学で、時間も体力も消費してしまう状況は、想像以上に堪えました。両親が一人暮らしを許可してくれなかったので、泣く泣く千葉とつくばを往復しなければいけない日々を過ごしていました。
自宅の周辺で早朝の5時に自主練習してから学校に向かい、練習後に帰宅するのは21時過ぎになります。この生活を5ヶ月続けてみて、体力の消耗が大きいと感じたのは事実です。そんな中でも、8月初旬の学内記録会において5000mで自己新記録をマークすることができました。それによって、僕に箱根駅伝予選会を狙う選抜グループ入りのチャンスが出てきました。
僕は、両親に「つくばへの引っ越し(一人暮らし)」を直訴しました。「通学に要する4時間近くの時間を競技活動に有効に使い、箱根駅伝予選会のメンバーに入りたい」という思いからです。僕の熱い想いが伝わったのか、9月から一人暮らしすることの許可が両親から出され、晴れて桐萠塾という長距離のアパートで生活できるようになりました(二人部屋なので、一人暮らしではありませんが)。
片道2時間近くの通学時間をカラダのケアや回復に充てられるようになると、練習の走りが変わっていき、調子がどんどん上がっていきました。箱根駅伝予選会に選手として出場することが現実味を帯びてきました。生活の仕方で、こんなにも競技パフォーマンスが違ってくるのかを実感することができたのは大きかったです。
箱根駅伝が終わった後に人伝(ひとづて)に聞いたのですが、僕に自宅通いを強いたのは「最初から恵まれた環境を与えたくない」「今ある環境を当たり前と思ってほしくない」「大学生活を高いレベルにする覚悟を持ってほしい」という両親の断固たる考えによる方針だったのです。
最初の5ヶ月間の苦労で、僕は「時間を有効に活用する大切さ」と「文武両道を邁進できる環境に感謝すること」を学びました。当初は、一人暮らしを認めてくれなかった両親に不満を抱いていた僕ですが、こんなにも僕のことを思ってくれていたのかと気付かされ、今は感謝の気持ちしかありません。
9月からチームに完全合流した僕は、空いた時間も競技のために使い、順調に走力を増していきました。1秒たりとも無駄にしたくないという気持ちです。その結果、箱根駅伝予選会を走る選抜グループ(候補選手)に入り、9月から熊本や菅平高原での強化合宿で必死にトレーニングを積んでいきました。
9月の合宿を経て臨んだ箱根予選会の選手選考に関係する9月末の記録会では、初めて1万mに挑戦し、チーム5番目でゴールすることができました。
自分でも驚くほどの成長を感じながら、練習する日々は、とても楽しかったです。箱根駅伝予選会で順当に選手に選ばれ、チーム7位で走ることができました。僕がハーフマラソンを走れるようになるなんて、春には考えもしなかったことです。
26年振りに予選を突破した歓喜の輪の中に僕がいるという最高の気分を味わえたことは、今後の競技活動に大きな意味を持つことになるだろうと思います。
しかし、予選突破後の11月の中旬頃から満足な練習が出来なくなっていきました。血液検査をして貧血が判明したのですが、箱根予選会前から気が張っていて、今まで経験したことのないハードトレーニングの疲れが蓄積されていた結果だったと思います。
なかなか体調が上向かず、自分の理想と現実の乖離がしばらく続きました。気持ちも落ち込み、苦しい期間でした。そんな僕を心配した先輩方にアドバイスをもらい、そのおかげで苦しい状況を乗り越えることができました。チームで活動している意味がわかり、先輩方には感謝の気持ちでいっぱいです。
そして迎えた箱根駅伝本戦、個人の結果としては61分10秒で区間20位でした。レース内容としては、「序盤の上りで周りの人についていけなかったこと」、「下りで身体が固まり呼吸が苦しくなってしまったこと」が反省点ですが、貧血が完全に快復していなかったからという理由が大きかったと思います。それよりも、そもそもの力が足りないことが1番の原因です。
十分な実力があれば多少の失敗や不調があっても戦えるはずです。レースを振り返れば振り返るほど、走り終わってからこみ上げてきたものは、今までに味わったことのないほどの悔しさでした。チームに勢いを与える走りが出来なかった自分自身が心から不甲斐なく感じました。弱い自分を情けなく思う感情がここまで大きくなったのは初めてのことです。
それらを含めて、箱根駅伝で得られたものは非常に大きいと思います。これから同じ土俵で勝っていかなければならない他大学の選手の力を肌で感じることができ、明確な個人の目標を立てることもできました。
大学入学当初の僕ならば、「もう少し現実見ろよ」と言いたくなる目標ですが、今の僕は不思議に「十分にやれる」と思っています。それほどまでに春からの筑波大学での文武両道活動が充実していて、僕自身を成長させてくれたのだと思います。その成長は、両親の僕への想い「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という断固たる教育があったからです。
そうしてチャンスを掴むことができた僕は「仲間と切磋琢磨して箱根駅伝に出場したこと」「多くの方が筑波大学の26年ぶりの箱根駅伝出場を喜んでいただけたこと」「両親に僕が箱根駅伝を走る姿を見せられたこと」など、心から喜ぶことができる体験をしました。さらには、予選会突破後から激励やお祝いのメッセージをたくさんいただき、箱根駅伝当日も多くの声援を受け、力が一層みなぎりました。
1年目から箱根駅伝という夢の舞台を走ることができたことは幸せでした。その憧れの舞台で、「筑波大学頑張れ!」という応援の他にも名前で応援してくださる方も沢山いて、とても力になりました。とくに「“かずもと”頑張れ!」の声援は新鮮でとても嬉しかったです。本当にありがとうございました。
第96回箱根駅伝が僕にとってもチームにとっても「良い経験だった」と心の底から思い、堂々と言えるようになるためにも、自分がチームの柱になるという強い気持ちをもって競技に取り組んでいきます。
これから先、苦しいことや逆に恵まれることなど、いろんなことが待ち受けていると思います。どんな時でも、両親が落としてくれた『千尋の谷』のことを思い出し、決して慢心することなく、揺るぎない信念を持って文武両道を貫いていきたいと思います。
今後ともご支援・ご声援の程よろしくお願い致します。