箱根駅伝予選会か終了し、早いもので、すでに2週間が経過した。予選敗退に終わった筑波大学は、ほとんどの4年生が抜け、代替わりした新しいチームとして始動している。予選会に向けて集中した後で、心身の疲労が抜けない者もいるが、来年を見据え、前を向いて歩み始めた。
そんな中、10月28日と29日に開催された第7回筑波大学競技会に、多数の学生が出場した。予選会出場メンバー以外は5000メートルに、予選会を走ったメンバーの数人は1500と3000メートルに出場、その他は5000メートルのペースメーカーとして参加し、新チームとしての本格的なスタートとなった。予選会エントリー選手以外の学生が迎える久しぶりレースで、成長度合いがどの程度あるのかが楽しみである一方で、新しいチームの今後の勢いにも影響する大事なレースとなることも自覚しており、緊張感たっぷりなレースに全員が臨んだ。
競技会の初日。まずは、予選会の出場メンバーが勢いを見せた。最初の中長距離種目となった1500メートルには、池田が出場。11月の記録会に向けて、スピードのチェックをする意図があったようだ。調子はあまり良くないと語っていた通り、レース前半のペースに対応できず、もたついた走りをしていたが、後半にグングンとスピードを上げ、自己記録に僅かに及ばないタイム(0.3秒)で2位になった。翌日も5000メートルのペースメーカーを務め(3分/km ペース)、元気に走り出した。
3000メートルには、森田や小林、相馬などが、同じくスピードのチェックとスピード練習を兼ねて出場した。森田は、600メートルから前に出て、1周を66秒前後で飛ばした。それに付くことができたのは、スピードランナーの才記(M1)と小林だけ。相馬は、自重して第2集団。森田がそのまま先頭を譲らずに最後まで押し切り、スピード持続力の高さを見せつけた。大学院生含めて出場した6人全員が自己新記録をマークし、チームに元気を与える走りをしてくれた。
2日目の5000メートルには、予選会を走ったメンバーがペースメーカーを務め、1人でも多くの者が自己新記録を達成することを目指した。しかし、台風の影響で、土砂降りの雨となり、トラックは水が浮く状態に。しかも、記録計測器の不調で一度整列したスタートを15分後に、再整列する不運が重なり、集中力を発揮しづらい状況に。そんな逆境にも負けず、寒さでカラダを震わせながらも皆で声を掛け合い励まし合う。その光景を目の当たりにし、新チームの躍進は約束されたような気がした。
スタートとともに「15分切り」「15分」「15分15秒」「15分30秒」を目指すグループを形成し、豪雨に打たれながら、水溜りのトラック走路を力走。この悪条件でも、出場者19名のうち5名が自己新記録をマークした。
筑波大学が箱根駅伝に出場するための課題の一つが、走力上位の選手層を厚くすることにある。主力メンバー以外で、この最悪とも言えるコンディションで3名が15分を切り、30秒近くも自己記録を短縮した学生も2名いた。これは、チームにとっては、大いに意義のあること。チームの底上げがなされていることの証明であろう。
筑波大学 陸上競技部では、入部に関して、競技力の条件は求めていない。学生の課外活動であり、制限は設けず、競技活動でも平等を貫いている。条件は「競技力の向上を目指して努力すること」だけ。賛否両論あるが、競技力だけでなく、人間力も向上させることが目的となる部活動という場として、そのチャンスをより多くの若者に提供していく使命が筑波大学にはある。
この日は、それら大学の取り組みを象徴する競技会だったと思う。朝練習すら一緒に走ることができなかった学生が、半年間の努力を重ねて15分50秒を目指して走るまでに成長し(結果は、16分超え)、16分をやっと切るくらいだった学生二人が15分30秒を切った。それを我が事のように喜ぶ仲間がいる。それが筑波大学なのである。
誰が言うまでもなく、1年後の予選会に向けては、全員が選手になるつもりで競技活動を通して切磋琢磨していくだろう。伸び盛りの学生たちの中には、磨けば光る原石が必ずいる。それも複数。4年生が抜けて、現在は、26名しかいないチームでは、その可能性を捨てるわけにはいかない事情があるのも事実。
だが、全員が夢を追い、皆が生き生きと活動するチームであり続けることを大切にしていきたい。「1年後までには、大きな成長を遂げるだろう」ことを予感させる競技会が終わり、「新たな一歩を踏み出した確かな感触を得た」ことを学生たちの笑顔が物語っていた。
さあ、新たな章の始まりである!