11月3日に行われた第56回全日本大学駅伝の結果を報告させていただきます。
本学からは、金子佑太朗(工シス4)が日本学連選抜チームで出場しました。
第3区(11.9km)に出走し、
区間8位 記録34’46″ という結果でした。
筑波大学としては40年ぶりの伊勢路ということで、これまで強いOBの先輩方が多くいた中で成し遂げられなかった『桐の葉の伊勢路復活』を金子が叶えてくれました。前半シーズン、トラックで5000m、10000mと筑波大学記録を更新し、筑波大学史上最速エースとしての結果を求められた重圧は計り知れません。チームが金子の力に縋るような形で迎えた箱根駅伝予選会では、私たちが思い描いた理想から程遠い結果(チーム内12位)に終わりました。チームで戦うからこそ、エースに押し付けられたその期待や責任・プレッシャーのかけらをひとりひとりが握らなければいけませんでした。
その予選会からの熱も冷め切らぬまま迎えた今大会。彼にとってこれが学生最後の大舞台。結果・記録はもちろん、組織づくりの面でも私たちにたくさんのものを残してくれた4年生のラストレースに心動かされた学生が多くいるはずです。3年生までは故障がちで思うように走れないことが多かったですが、この1年間を陸上人生の最終章と位置付け、学生トップランナーの1人へと上り詰めた彼が、全国の舞台で区間8番。私たちでも戦えることを示してくれました。
金子が4年目にして大きく花開いたように、筑波大学には上級生になって結果に結びつく選手、叩き上げの選手が多いです。40年ぶりに繋がった道を簡単に塞ぐことがないようにより一層の覚悟をもって取り組んでいきます。またエースが強いだけではなく、底上げされた選手層の厚いチーム状況で第102回箱根駅伝予選会を迎えられるように、残されたトラックレース、そして冬季練習に励んでいきます。
以下本人のコメントになります。ご一読ください。
『日頃より多くのご支援を賜り、ありがとうございます。
11/3に行われました全日本大学駅伝において日本学連選抜として3区に出走し、34分46秒で区間8位でした。
箱根駅伝予選会から2週間空きというタイトなスケジュールの中、予選会によるダメージで出走が危ぶまれた時もありましたが、木路監督や佐久間トレーナー、部員によるサポートのお陰でスタートラインに立つことができました。予選会が近付くほど強く感じていた使命感やプレッシャーから解放され、自分で掴み取った舞台ということもあり、スタート前はとても晴れ晴れとした気持ちでした。
今回の駅伝に臨むにあたって、私は
・最後の駅伝、青桐を噛み締めること
・大舞台での勝負を心から楽しむこと
・今まで支えてくれた方々への感謝の気持ちをタイム以上に「走り」そのもので示すこと
の3点を心に決めていました。
スタート前に青桐を身につけたとき、また中継所での襷の受け渡しの瞬間は、大学陸上のみならず10年間の陸上生活が一気に思い出され、感慨深いものがあったとともに、どこか名残惜しく、寂しい気持ちに駆られました。
スタートしてからは直ぐに大東文化大学、日本体育大学の選手との3人の集団になりましたが、後ろにはつかずに自ら先頭を引っ張りました。勝負に徹するならば最適な選択とは言えなかったかもしれませんが、最後は自分の納得のいく走りで終わりたいという気持ちが無意識にこの行動を選択させたのだと思います。
7km過ぎに駒澤大学の伊藤選手に追いつかれて集団のペースが一気に上がりましたが、必死に食らいつき一時は前に出ることもしました。スパート勝負で負けてしまったり、自己ベストからするとタイムや区間順位は物足りないものであったりとレースとして見れば悔しい部分もありましたが、予選会ではできなかった勝負を楽しめたこと、駒澤大学をはじめとする箱根駅伝常連校の選手と駅伝で競り合えたことなど、やり切ったと感じる部分も多くあり、今回の自分の走りに後悔はありません。
そして何より沿道で、テレビを通じて、SNSを通じて、本当に多くの方々に応援をしていただきました。今まで支えてくださった方々の前で、今の自分にできる最大限の走りを見せられたと思います。久しぶりに自分のやりたかった走りができた、走りで何かを伝えられた、そんなラストレースでした。
大学3年生までは怪我に悩まされ、思うような走りができない時期が続きましたが、今年は2種目で筑波大学記録を更新できたり、両インカレに出場できたりと充実した1年を過ごすことができました。箱根駅伝に出られなかったことだけが心残りですが、この夢は後輩たちに託し、ここで得た経験を糧に新たな道で頑張りたいと思います。
4年間多くのご支援、ご声援をいただき本当にありがとうございました。』
(文責:2年小山陽生)